コーヒーは1600年代から急激にヨーロッパで普及し始めます。
はじめはコーヒーの事を”悪魔の飲み物”と呼び反対していた人々も次第にコーヒーの味や香り、効果などに魅了され上流階級を中心に飲用が広まっていく事となります。
このページではイギリス初のコーヒーハウスやペニー・ユニバーシティなどイギリスのコーヒー文化と歴史について書いてみたいと思います。
「ヤコブの店」と「ロゼーの店」
1650年、イギリスの学問の町オックスフォードに初めてのコーヒーハウス「ヤコブの店」が開かれます。
その2年後にはロンドンにも「ロゼーの店」が開店。両店ともに豪勢なつくりではなかったようですが、大変賑わっていたようです。
ロゼーの店の成り立ちですが、エドワーズという商人の召使にパスカ・ロゼーという人がいました。
彼の日課は主人のエドワーズにコーヒーをいれる事。ロゼーはギリシャ人でしたが、トルコに住んでいたためコーヒーについての知識がありました。
コーヒーはエドワーズの友人達にも好評で、ロゼーは彼らにもコーヒーをいれてあげる事に。
コーヒー目的の来客が増え、あまりに忙しそうなロゼーを見かねたエドワーズはロゼーにコーヒー店を開かせる事にしました。
これがロゼーの店です。
ロゼーの店は「The Vertue of the COFFEE Drink(コーヒーの徳)」というチラシを客に配布し、コーヒーの覚醒作用や胃潰瘍、痛風などの改善といった効果・効能をアピールしていたそうです。
ちなみに、このチラシは世界初のコーヒー広告といわれています。
ペニー・ユニバーシティ
ロゼーの店はイギリスの商業中心地(ロンドン塔西北)の更にど真ん中株式取引所の近くで開店しました。
当時イギリス商業が活況を呈していましたが、取引所の中に入りきれなかった人々が次第にロゼーの店を利用するようになります。
ロゼーの店では活発に情報交換が行われるようになりました。むしろ、取引所の中では手に入らないような裏情報までもが入手できるように。
店はその後も大いに賑わい、まるで第二の取引所のようになっていきました。
ロゼーの店の評判を聞きつけた商売人たちは次々とコーヒーハウスを開店させていき、10年後には3000以上の店ができたとされています。
1ペニー払えば店内の新聞や雑誌を読む事ができ、さらに情報交換ができたり、討論にも参加出来る事から、ロンドンのコーヒーハウスは”ペニー・ユニバーシティ“と呼ばれるようになりました。
日本ではあまりイメージできませんが、ヨーロッパでは経済情報を交換したり、政治や学問の討論の場として利用されているようです。
コーヒーハウスは女人禁制
上でも説明したとおり、コーヒーハウスは身分に関係なく出入りでき、さらに店内の新聞や雑誌などが読め、情報交換もできる事からビジネスや社交の場として重要な役割を果たしていました。
コーヒーハウスにはいるには身分は関係ありませんでしたが、たったひとつ条件がありました。その条件は”男性であること“、つまり女性は入店できなかったのです。
男達はまるで病気にでもかかったようにコーヒーハウスに入り浸り、中には全く家に帰らない者もいました。
1674年、堪りかねた主婦達はコーヒーハウスの廃止などを求めて市長に嘆願書を出す事態に。
内容はコーヒーには精力減退効果があり、夫婦生活に支障をきたしているといったもの。
男達もこれに対して返答しましたが、はっきりとした決着はつかなかったようです。
バッハの”コーヒー・カンタータ”はコーヒーばかり飲む娘を父が叱るという内容でしたが、この時は反対だったようですね。
以上、イギリスのコーヒー文化と歴史についてでした。